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函館家庭裁判所 昭和41年(家)277号 審判

申立人 寺内実(仮名)

未成年者 寺内照栄(仮名) 外三名

主文

申立人寺内実を上記未成年者四名の後見人に選任する。

理由

一、本件申立の要旨は、「申立人は本件未成年者四名の実父であり、本件未成年者四名は申立人と山田テルとの間に出生したものであつて、出生以来樺太で生活していたが、本年一月に申立人と共に日本に帰国したものである。ところで申立人には頭書記載の本籍があるけれども、未成年者照栄ら四名には本籍がなく、実母の山田テルが未だに帰国していないためもあつて出生届による戸籍作成の方法もとり得ない。そこで照栄ら四名について就籍の手続をしたいがこれらの未成年については法律上親権を行なう者が居ないので、申立人が後見人に就任したいからこの申立に及んだ」というものである。

二、そこで考えると、申立人の提出した各書類、当裁判所が申立人を審問した結果等によれば、次のような諸事実が認められる。

申立人は、昭和二年四月二五日樺太の○○郡○○村で寺内治朗、同とみの間の五男として出生した。父治朗は北海道○○村(現在○○町)の出身、母とみは青森県の出身であつた。申立人は上記○○村○○○の小学校高等科を卒業したのち、豊原の林業研修所に入り、同所を出てから一時営林署に勤務したが、その後電気工事の仕事関係に転じた。昭和二〇年の終戦当時、申立人は豊原電気通信工事局に所属し上記○○○で電信電話の線路工員をしていたところ、同地に進駐して来たソビエ卜連邦社会主義共和国(以下単にソ連という)の軍人から、ソ連人の電気工員が来るまでそのまま仕事を続けるようにとの命令をうけ、帰国することができず、同地でそのまま仕事を続けていた。その後昭和二二年(一九四七年)ごろ、ソ連人工員が来たので仕事の引継をし、電気線路工員の仕事をやめたところ、ソ連当局から命令をうけ山で木材の伐採をして働くようになつた。

そして申立人は、昭和二三年(一九四八年)六月ごろ山田テルと結婚し、住居地である○○○の民生局戸籍登録課に婚姻登録の手続をし、婚姻証書の交付をうけた。同女も両親は日本人であるが、樺太で生まれ育つていたのであつた。その後昭和二五年(一九五〇年)から三一年(一九五六年)までの間本件の未成年者四名が両者間に出生した(各人の氏名生年月日は頭書記載のとおりである)。

ところでその間ソ連は申立人の帰国希望を一向に認める気配がなく、申立人の職場の長などは、申立人に対し、日本に帰らないでいつまでもここに居たら良いではないかなどと云い出す状熊であつた。そしてそのほか、当時日本人でもソ連の国籍を取得した者は、一般のソ連人と同じ待遇をうけ、ソ連国籍を有しない者との間において、食料配給の面、旅行の面、その他種々の点で格段の相違があり、ソ連国籍を有しない者の生活は甚だ苦しかつたこと、また申立人らは日本に特段の身寄りがなく、日本の状況も良くわからなかつたこと等の諸事情から、昭和二八年(一九五三年)ごろまでの間に、申立人らの家族全員がソ連の国籍を取得するに至つた。

その後昭和三三年(一九五八年)ごろ、帰国のこと(申立人は帰国したい考えであつたのに、テルはその考えがなかつた)などから夫婦間に不和が生じ、事実上別居生活に入り、そののちソ連の裁判所で正式の離婚手続を済ませ、未成年者四名は全部申立人が引取つた。そしてそのころ申立人は、その両親ならびに未成年者らと共に帰国の申請をしたのであつたが、結局ソ連政府から不許可になつた。

しかし昭和三九年(一九六四年)に再び帰国申請をしたところ、昭和四一年一月になつてソ連当局の許可を得、諸種の手続を経たうえ、申立人、両親、未成年者らが揃つて居住地を出発し、同年一月二一日横浜港に到着、帰国したのである。

ところで申立人の両親の本籍は、もと上記○○郡○○村にあつたが、のちに樺太○○郡○○町、そして○○○郡○○○町と順次転籍し、昭和二三年には北海道川上郡○○村に転籍していた。これは申立人の父治朗の兄寺内武が治朗夫婦やその子である申立人らを含む一家の戸主であつて、同人が上記のように順次転籍したので申立人の両親ならびに申立人もこれに従い順次転籍したものであつた。

申立人は上記のように横浜港から上陸したのち、上記寺内武の子寺内健一が○○郡○町に居住していることを知り、これを頼つて○町に赴き、同町に居住し、申立人とその両親の本籍も上記○○村(現在○○町)から○町に移し現在に至つている。

三、以上の事実からすれば、申立人はもともと日本国民であつたことに疑いはないが昭和二八年ごろまでに樺太において、自己の志望によつてソ連の国籍を取得し、その結果日本国籍を失つたことになるのではないか(国籍法第八条)とも考えられる。

しかしながら上記認定事実から知られるように申立人のソ連国籍取得は極めて特殊な事情のもとでなされたものであり、帰国の見通しもつかず日本の状熊も十分には知り得ないまま、少しでも生活状熊を良くするために真にやむを得ずなされたものとみられるのであるから、このような場合は国籍法第八条にいう一自己の志望によつて外国の国籍を取得した」場合にあたらないものと認めるのが相当である。

とすれば申立人は日本国民であり、日本の国籍を失なつたこともないとみるべきであり、従つて本件の未成年者らは、いずれもその出生の時に父が日本国民であつたのであるから、やはり日本国民であるといわなければならない(国籍法第二条第一号)。

次に未成年者らが日本国内に本籍を有していないこと、その父母につき夫婦としての戸籍が作られて居らず、母も国外に在住していて帰国の見込みもないことが明らかであるところ、このような場合には通常の届出による戸籍の作成が甚だ困難であるから、就籍の手続を経る必要のあることを肯認すべきである。

そして、申立人は未成年者らの実父ではあるが、その親子の関係を公証するものが存しないのであるから、上記就籍の手続を遂行する必要上、民法第八三八条第一号前段により、未成年者らにつき後見が開始するものとみるべきである。未成年者らのいずれについてもその後見人には申立人を選任するのが相当である。

四、以上の理由により、本件申立を相当と認め、主文のとおり審判する

(家事審判官 千葉裕)

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